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2021_1114_133032 五重塔

写真: 2021_1114_133032 五重塔

写真: 2021_1114_135905 弁天堂 写真: 2018_0325_151703 鉄子ちゃん

京都は太平洋戦争では戦災から免れたため多数の文化財が残されていますが、室町時代半ばの応仁の乱では市中の殆どの建築物が戦乱で焼き尽くされ焼け野原となりました。そのような歴史から、由緒あるお屋敷などで「戦争の前までは良いものがあったのですが・・・」と言われた場合の前の戦争とは応仁の乱のことを指すのだとか・・・

この五重塔はこの戦乱の中を生き延びた貴重な木造建築で平安時代の951年に建立されています。京都府下で最古の木造建築で国宝指定されています。
高さは38mで八坂の塔や仁和寺の五重塔と高さは近いですが、てっぺんの相輪部分が長く、屋根も上に行くほど小さくなるので後年の五重塔より下部が大きいずんぐりした形が特徴です。

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コメント (15)

  • nophoto_70_mypic.gif

    たぶん、キューチャンさんの説明文に誤りは無いんでしょうが、僕が聞いた話しだと、先の戦争中(つまり、太平洋戦争)で、京都市内で戦災が全く無かったように思い込まれる方もおられるかも?なので。

    京都市内中京とかは攻撃しても仕方無い(寺院とか)と云う事なのか、他の日本の主要都市のようには焼夷弾の絨毯攻撃は無かった(原爆の候補地であったけど天候の都合で逃れただけ、と云う説もあります)ようですけど、京都市近郊にも軍需関連の施設はありましたので、コレに対する空撃はあって、その帰りの駄賃(?)のような爆撃もあり、まるで映画のように空からの銃撃に逃げ回った(或いは、殺られた)の経験談を聞いてます。
    それが東京や大阪、広島、長崎等々の甚大な被害で無いので、語られる事も無いですが、当人にとっては恐ろしい記憶です。

    2021年11月17日 19:00 退会ユーザー

  • nophoto_70_mypic.gif

    あと。京都市に組み込まれたのが歴史として古く無いから、でしょうけど。
    明治維新期の鳥羽伏見の戦いでもかなりの範囲に被害が出てます。
    京都人が「先の戦乱は応仁の乱」というのは、誰が言い出したのか知れませんが、応仁の乱以後からずぅーと代々京都人で続けていた家系なんてホンの一握り居るか?なんですよね。
    だから、コレはウッカリ言ってはダメですよ。都市伝説並みの妄言ですから。
    寧ろ、近年まで京都が先見性の或る街であり続けたのは出入りが激しかったからだと、僕は思ってます(これは東京も当て嵌まる事でしょう)

    2021年11月17日 19:01 退会ユーザー

  • キューチャン

    cibaさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月17日 23:40 キューチャン (36)

  • キューチャン

    SuzumeExpさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月17日 23:40 キューチャン (36)

  • キューチャン

    がんちゃんさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月17日 23:41 キューチャン (36)

  • キューチャン

    桜日和さん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月17日 23:41 キューチャン (36)

  • キューチャン

    トキゾウさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月17日 23:41 キューチャン (36)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月17日 23:42 キューチャン (36)

  • キューチャン

    フーテンのふさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    京都にも空襲被害はあって数百人規模の被害があったことは承知しています。
    全く戦災がなかったかのような説明は事実誤認を誘発して、実際に被害に遭われた方にしたら
    不愉快に思われることでしょう。失礼いたしました。
    空襲被害が少なかったのは結果論で、母は戦時中疎開していましたが京都市中に居た伯父は
    度々防空壕に避難することはあったようです。
    寧ろそれまでの空襲被害が比較的少なく、効果確認に適することから
    新潟・小倉・広島と合せ原爆の投下目標候補に挙がっていたとも聞いており
    最終的に古い街が残ったもの偶然の産物という面が大きいと思います。

    2021年11月17日 23:44 キューチャン (36)

  • キューチャン

    「応仁の乱の前までは、」云々も後世の人が古臭いものを面白がって言ってるだけで
    そんなことを真顔で言ってる人は居ないという認識ではあります。
    ただ、昭和半ばくらいまでは平安時代から続く、はともかくとしても、実は世が世ならというような公家さんの家の子がクラスにぽつぽつと居た、ということはあったようです。
    母の証言では、仲良しのごく普通の子なのにやんごとなき苗字で、おうちに遊びに行くと、大きいが異様に造りが古い家で、玄関の上り口が高くてむちゃ上がりにくいとか、それでも家はそれしかないので不便を我慢して暮らしておられたようですね。
    そのような傾向は幕末から明治、大正期に建てられて戦災に遭うこともなく
    長らく使われた鰻の寝床と言われる細長い普通の家屋(母の実家もまさにそうです。)にも大なり小なりあり、それが高度成長期になると街並み保存条例なんかで勝手に立て替えられない、燃えやすい家は火災保険も高くて掛けられない、みたいな不便な暮らしから、自嘲気味にいちびって出てきたような言葉が、いつの間にか「京都ではそう言う」と真顔で捉えられてしまった,といった手のものと思っています。
    何にしろ、SNSに恐らく」おふざけ由来であろうことをさも真顔と捉えられかねない書き方をするのは×でした。
    以後注意します。

    2021年11月17日 23:45 キューチャン (36)

  • キューチャン

    京都のどこに行っても「応仁の乱のときに焼失した」という説明を見ないことがないくらいとことん破壊されたことは確かみたいですね。
    ですが幕末の方も被害は大きかったようですね。
    鳥羽伏見に繋がる幕末の志士の活躍も、京都に住む人にとっては好きに街中で暴れられて迷惑な話であったようですね。
    最近復活した大船鉾も蛤御門で焼けたのでしたっけ。市中に散在して保管されていた山鉾が半分近く消失するというのも被害の大きさを物語ってますね。
    中書島あたりや御香宮の向かいあたりは一番焼けたのか○○跡の碑ばかり。

    2021年11月17日 23:50 キューチャン (36)

  • キューチャン

    nossさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月22日 05:52 キューチャン (36)

  • キューチャン

    みなみたっちさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月22日 05:52 キューチャン (36)

  • キューチャン

    ヒデシさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月22日 05:52 キューチャン (36)

  • キューチャン

    トクさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月23日 21:20 キューチャン (36)

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